洲崎古戦場跡(すざきこせんじょうあと) |
由来 元弘3年(13339)5月18日、新田義貞の鎌倉攻めのおり、多摩川の分倍河原(ぶばいかわら)の戦いに敗れた北条軍は一気に退いて、この地に布陣した。 新田軍の前面は掘口貞満軍、守は北条軍の将・赤橋守時。両軍がここで激突し、5月18日終日、戦いが続いた。一昼夜に65度に渡る切りあいがあり多数の戦死者がでて、始め、6万騎あった幕府軍は、新田軍の猛攻に会い、ついに300騎ほどになってしまった。 幕府軍の赤橋守時は自害した。この激戦地に碑が立っている。 |
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基本情報 | アクセス | 湘南深沢(湘南モノレール)下車。次の町屋駅に向かって徒歩5分ほど。深沢住宅のモノレール下 | |||
住所 | 鎌倉市山崎寺分1丁目 | ||||
主な周辺情報 (画像がリンクします) |
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泣き塔 |