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               阿仏尼のやぐら(あぶつにのやぐら)  
由来 
英勝寺の先の崖の際にあるやぐらがある。やぐらの層塔の墓石は、「十六(いざよい)日記」の著者で知られた阿仏尼の墓である。平安時代以来の歌の宗家である藤原定家の子・為家の後妻が阿仏尼である。
夫の所領を巡ってのトラブルで阿仏尼が鎌倉幕府へ直訴をする為に京都から鎌倉へ旅立った。鎌倉までのその16日間の日記が「十六日記」である。時は元寇の不安の最中であり、訴訟は放置され、阿仏尼は鎌倉に居たまま亡くなってしまった。
子・為相はのちに兄から分家して冷泉家を起こした。ちなみに息子・冷泉為相は線路向かいの淨光明寺に眠っている。
歴史リンク 阿仏尼の歴史背景と時期を表示します。
             
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基本情報            アクセス JR鎌倉駅西口徒歩15分
住所 鎌倉市扇ガ谷
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WEB情報  阿仏尼Wikipedia
主な周辺情報
(画像がリンクします)       
 
海臧寺    浄光明寺    寿福寺

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