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巨福呂坂切通し(こぶくろざかきりどうし) |
由来 今の巨福呂坂はトンネルを掘ったあと、切通しは道路になってしまっているが、昔は巨福呂と書き、今の西側の山を越えていく道であった。巨福呂坂切通しは鎌倉七口の切通しの一つで、鎌倉幕府三代執権・北条泰時が延応2年(1240)に防衛と人の通行、物資の輸送の便を図る為に、深い切通しを造った。鎌倉幕府最後の日、元弘三年五月、鎌倉攻めの新田義貞軍の将・堀口貞満、守る北条軍の将・長崎高重で、両軍の激突は物凄く、19日から22日まで烈しい攻防戦が展開されたのが巨福呂坂の戦いであった。 |
歴史リンク | 巨福呂坂切通しの歴史背景と時期を表示します。 歴史リンクへ |
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散策 | 巨福呂坂切通しを含めた散策コースを紹介。散策コース(古道めぐり) | ||||
基本情報 | アクセス | JR鎌倉駅西口徒歩20分 | |||
住所 | 鎌倉市雪ノ下 | ||||
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主な周辺情報 (画像がリンクします) |
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