鎌倉の歴史上の主な人物

  


     安達盛長(あだちもりなが)
安達盛長(1135〜1200)は、鎌倉前期の武将。盛長は鎌倉時代に隆盛をきわめた安達氏一門の祖。源頼朝が伊豆の蛭が小島に配流時代からその側近として仕えた御家人で頼朝から信頼を受けた。文治5年(1189)の奥州征伐や頼朝の2度の上洛にも従軍。頼朝の死後、将軍・源頼家の基で13名の合議制の一員として幕政の中枢で活躍した。梶原景時の弾劾にあたって子・景盛とともに弾該状に名を連ねた。66才で死去。現在の甘縄神社は安達氏の屋敷跡である。
     






   足利基氏(あしかがもとうじ)
足利基氏(1340〜1367)は、足利尊氏の四男で,南北朝時代の武将。貞和5年(1349)鎌倉に入り初代鎌倉公方。















     文覚上人(ぶんかくしょうにん)
         
文覚上人(?〜1203)は、もとは武士で、遠藤盛遠といった。京都神護寺再興の勧進で後白河法皇に参加を強要し、伊豆へは配流された。配流地の韮山で源頼朝と出会い、平氏打倒の挙兵を薦めた。後に頼朝の援助で江ノ島に弁才天を勧請し、また神護寺の再興に貢献した。頼朝が勝長寿院を建立するにあたり、頼朝の父・源義朝の首を京より持ち帰ったという。大御堂橋のたもとに文覚上人の屋敷跡の碑がある。
     
     
     
     
     
     
     
     
     
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