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稲村ヶ崎(いなむらがさき) |
由来 稲村ガ崎は今は、美しい公園になっているが有名な古戦場である。元弘3年(1333)5月の新田義貞の鎌倉攻めの際の、鎌倉への突破口となった所である。 北条軍の強固な守りにより、新田軍は鎌倉へ攻めあぐんでいた。5月21日の深夜、稲村ガ崎に至り、岩頭に立って、竜神に祈ったと言う場はここであった。 義貞は潮の引いたのを見て、義貞は、6万騎を率いて稲村ガ崎の岸壁沿いに鎌倉へ突入し、源頼朝以来150年続いた鎌倉幕府は滅亡したのである。国の史跡。 |
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見所 |
・稲村ヶ崎 稲村ヶ崎を西側から望む。 中腹に広場のように見えるのが鎌倉海浜公園。なお砂が全体的に黒っぽいのは地中に含まれる砂鉄のせいである。 |
・鎌倉海浜公園 現在は鎌倉海浜公園として整備されていて、園内には逗子開成中学校ボート部七里ヶ浜沖遭難事件(1910年)の慰霊碑(『真白き富士の根』の歌詞を刻む)、コッホ博士記念碑などもある。サーフィンのメッカとして有名であると同時に、海水浴場としても使用されてきた。 |
・絶景 江の島や富士山を望む絶景が見られる場所。 |
・新田義貞の鎌倉攻め 新田義貞は、稲村ガ崎に至り、岩頭に立って、竜神に祈ったと言う場はここであった。義貞は潮の引いたのを見て、義貞は、6万騎を率いて稲村ガ崎の岸壁沿いに鎌倉へ突入し、源頼朝以来150年続いた鎌倉幕府は滅亡したのである。 |
歴史リンク | 稲村ヶ崎の歴史背景と時期を表示します。 歴史リンクへ |
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散策 | 稲村ヶ崎を含めた散策コースを紹介。 鎌倉幕府滅亡を偲ぶ散策コース |
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基本情報 | アクセス | 江ノ電稲村ヶ崎駅徒歩10分 | |||
住所 | 鎌倉市稲村ガ崎五丁目 | ||||
WEB情報 | 稲村ヶ崎Wikipedia | ||||
地図 | 地図へ | ||||
主な周辺情報 (画像がリンクします) |
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極楽寺切通し | 極楽寺 | 十一人塚 |
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