鎌倉の歴史上の主な人物 |
平清盛(たいらのきよもり) |
平清盛(1118〜1181)は、平安時代末期、平氏の全盛期を築いた武将。忠盛の長男。保元の乱・平治の乱で源氏を押さえて中央政界に進出し、1167年に太政大臣となり、娘の徳子を高倉天皇の后とした。この間、一族を朝廷の高位高官につけ、西国500余りの荘園を持ち、30カ国を知行国として全盛を誇った。後に後白河法皇と対立し院政を辞めさせ、徳子の産んだ安徳天皇を即位させ、外祖父として独裁政治を行った。そのため反感を抱く者がふえ、各地で源氏が挙兵するなか、病死した。63才であった。 |
平清盛像 | 平氏略系図 | |
千葉常胤(ちばつねたね) | . |
千葉常胤(1118〜1201)は、平安末期から鎌倉初期の武将。父は常重。上総介広常とは又従兄弟。下総国守護職。保元の乱では、源義朝の郎党として出陣。治承4年(1180)9月、伊豆韮山で源頼朝が挙兵し平氏に敗れ、安房に逃れた時に、頼朝に対して鎌倉を拠点にするように進言し、郎党300騎ともに頼朝に参加。元歴元年(1184)2月、源範頼に属して、一の谷の合戦に参加、その後豊後国に渡り、軍功を上げた。奥州の藤原氏討伐に大将として参加軍功を上げ、功により奥州各地に所領を拝領した。三浦、畠山と梶原景時の弾該し、鎌倉を追放した。鎌倉幕府創設に貢献。御家人の重鎮とされ建仁元年(1201)3月24日、84才で没した。 | |