保元の乱(1156) |
保元元年(1156)鳥羽上皇の崩御を機に、後白河天皇と崇徳上皇の皇位をめぐる対立と藤原一門の権力争いから起こった内乱。源義朝と平清盛は、後白河天皇側に加担し崇徳上皇を打ち破った。7月11日未明、後白河天皇の命を受けた源義朝と平清盛は、崇徳上皇の命を受けて事を起こそうしていた源義朝の父・為義と弟・為朝と平忠正らの集結場所を急襲しこれを制した。 この時源義朝は父・為義と弟・為朝を敵に回して戦い2人を殺害した。これにより長く続いた平安の時代は終わり武家の政治へ移っていった。 |
源氏系図 皇室系図 |