源平の戦いと平氏の滅亡
壽永2年(1183)7月25日、木曽義仲に追われて、安徳天皇(8才)を連れて都落ちした平氏は屋島(徳島)に拠点を置き、さらに一の谷(神戸)に陣をとった。源義経は一の谷の背後の鵯越の断崖から平氏に奇襲攻撃をかけ平氏は総崩れとなった。

一の谷で敗れた平氏一門は、海上を四国の屋島(徳島)に逃げ去った。文治元年(1185)正月、源頼朝は義経に屋島の平氏の攻撃を命じた。義経は2月28日の夜、150騎ばかりの兵で攝津(兵庫)から阿波の勝浦(徳島)に渡り、19日の朝には屋島に到着。陣を構える屋島の後ろから坂落としで平氏の陣を攻撃し、平氏は西国へ敗走した。

3月22日義経は700の軍船を率いて平氏を壇ノ浦(山口)に追い詰め、平氏5000の軍船を撃破。8才の安徳天皇は海中に。ここに平氏は滅亡した。
                          
           源平の戦い図            源氏系図
 

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