倶利伽羅峠の合戦(1183) |
源頼朝の従兄弟の木曽義仲は頼朝と同じく以仁王の令旨を受けて治承4年(1180)9月7日に木曽で挙兵した。平維盛は義仲追討のため10万の兵をひきつれ京を出発、北陸道から越中に入った。 一方義仲は上洛して平氏を倒し政権を握る絶好の機会として、寿永2年(1183)5月、3万1千の兵を従い,越中(富山)に向かい、砺波山で平氏軍と対陣した。砺波山では義仲は数百頭の牛の角にタイマツをつけて奇襲攻撃「火牛田単(かぎゅうでんたん)の計」をかけた、平維盛軍は背後の倶利伽羅峠の谷に雪崩を打って落ちていった。平氏の惨敗であった。 その後義仲の軍勢は次々と平氏を撃破し、さらに延暦寺の僧と手を組み怒涛の如く京へ攻め込んだ。平氏は安徳天皇を連れて西国(屋島)へ逃亡した。義仲軍が入京したのはその三日後の7月28日であった。 源氏系図 |
倶利伽羅峠の戦い図 |
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