源平合戦(壇ノ浦の戦い)ーー平氏滅亡
元歴2年(1185)3月24日屋島の戦いで敗走した平氏軍は、500隻の軍船で、熊野水軍や伊予水軍など瀬戸内海一帯の水軍を味方につけ、700隻余りに膨った源義経軍を壇ノ浦(下関)において迎え撃った。

早朝潮の流れを判断した平知盛率いる平氏軍は最後の合戦に挑んだ。平氏軍ははじめ優位に戦いを進めていたが、日が落ちるにつれ潮の流れが変わり、一変して義経軍が優位となった。午後5時ごろには平氏軍の敗戦が濃厚になり、平教経らは入水。二位の尼(宗盛、知盛の母)は、8才の安徳天皇を抱え入水した。

この戦いの目的であった三種神器の返還は二種だけとなり、残りの一種は見つからなかった。こうして平氏は滅亡した。
   源氏系図
           壇ノ浦の戦い図
   
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