立正安国論(1260)
文永元年(1260)7月16日、日蓮上人は「立正安国論」を時の前執権・北条時頼に呈上した。当時、鎌倉は各地で大地震、暴風雨、流行病、火災、干ばつなどが続き人心は不安になっていた。日蓮上人が「立正安国論」を著したのは、正にこういう時期であった。この「立正安国論」を御家人の宿屋光則(光則寺は光則の屋敷跡)を通じて時頼に呈上したのである。

「立正安国論」は全長1598cmあり、その内容は当時流行した天変地変飢餓疫病の原因は、国をあげて禅・念仏等の邪教に帰依しているからだと断じ、多数の経釈を引用して本論を明らかにすると共に、この災難を根治する救国救民の正法は法華経以外には無い、もし速やかに法華経に帰依しなければ、必ず自界叛逆・他国侵逼の大難も続発するであろうと警告している。

「立正安国論」は大町にある安国論寺で著作されたと言われている。この「立正安国論」が鎌倉幕府に呈上されたが、以来日蓮上人は幕府から数々の迫害を受けた。
                       
        
         立正安国論の一部

            



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