富士川の戦い(1180) |
平維盛軍5万が源頼朝追討のため、京から鎌倉へ進撃し、頼朝これに応じて20万騎を従え西進。治承4年(1180)10月18日、黄瀬川(静岡)で甲斐の武田軍と合流。富士川(静岡)を挟んで対陣した。 10月19日の夜、甲斐源氏の武田信義がひそかに対岸の陣の平氏へ奇襲をかけようと富士川を渡ろうとした時、水鳥がいっせいに飛び立ち、その羽音に驚いた平氏の軍は一戦も交えないで京都へ退散してしまった(平家物語)。 頼朝はその勢いで京に攻め上ろうとしたが、関東の地固めが先決と言う千葉常胤、上総介広常、三浦義澄らの進言に従って兵を鎌倉に帰した。その途中、10月21日黄瀬川で奥州から頼朝の挙兵を知り、駆けつけた義経と対面した。 |
源氏系図 |
富士川の戦い図 | ||