以仁王の令旨 |
皇室関連図 |
令旨の要旨 「清盛法師ならびに宗盛らは威勢をもって狂暴に振る舞い、国を傾け、百官万民を混乱させ五機七道を掠め取り、後白河法皇を幽閉し関白基房ら法皇の近臣を流罪にしたりして皇室を叛き、仏法を破滅させている。もしこの挙兵に応じない場合は、清盛法師の従類とみなし、死罪その他の罪過を科すであろう。もし味方して戦功があれば、私が即位した後、かならず願いどうりの恩賞を与える」 |
治承4年(1180)年4月9日この平氏打倒の令旨が全国の反平氏である源氏の人々に伝えられた。5月25日全国源氏に先駆けて源頼政が挙兵、しかし平氏の追討を受けて頼政は平等院の境内で自刃した。 以仁王は奈良に落ち延びる途中で平氏方の放った矢が王に当り、落馬して絶命した。この令旨により伊豆では8月17日源頼朝が、木曽では9月7日木曽義仲が、甲斐では武田が挙兵した。 源氏系図 |
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