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大姫と義高
を偲ぶ歴史散策 |
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j史話 |
・鎌倉の歴史には悲しい話が幾つかあります。その中でも源頼朝の娘・大姫と木曾義仲の息子・義高の悲しい話が一番哀れの様です。この悲しい史話と史話を訪ねるコースをご紹介します。
大姫は源頼朝と妻の政子との間に生まれた最初の子供であった。治承4年(1180)、頼朝が平家討伐の挙兵に呼応するかの様に同じ源氏の木曾義仲も平家討伐の旗を掲げた。
源頼朝と木曾義仲が対立し、あわや武力衝突も起きかねない状況になった時に木曾義仲の11才の長男・義高を頼朝の娘・大姫の婚約者として鎌倉に送ることで両者は和解した。義高は頼朝の人質と同じであった。11才の義高を迎えた大姫は未だ5,6才であったが親の政争の具に使われた2人は兄と妹のように仲が良かった。しかし翌年の嘉永3年(1184)、源頼朝は京にいた源範頼、義経らに進軍させ義仲を近江の粟津で敗死させたのである。
源頼朝はその後、小さいとはいえ仇討ちを恐れて大姫の婚約者である義高を殺害しようとした。頼朝の殺意を感じ、側近の者が義高を逃がしたが入間川で追手に捕らえられ打ち首となってしまった。それを知った大姫は心に深い傷を負い以降、病に陥ってしまった。政子や頼朝は病気祈願などいろいろと手を尽くしたが大姫の病は治らなかった。大姫は建久8年(1197)7月、20才の若さで亡くなる。大姫は鎌倉幕府設立時の犠牲者の一人であった。
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コース概要
・先ず大船駅から江ノ電バスで義高の墓がある常楽寺を訪ね、哀れな義高の墓所をお参りし若くして亡くなった義高を偲ぶ。その後、善政を行った三代鎌倉幕府執権・北条泰時の墓所をお参りし、茅葺の鎌倉時代の雰囲気を持った常楽寺を見学する。次に江ノ電の常楽寺バス停からバスで北鎌倉へ。
・北鎌倉バス停で降り、北鎌倉駅に近い鎌倉五山第2位の円覚寺と花の寺で有名な東慶寺で季節の花を楽しむ。
・亀が谷切通しを経て大姫を祀る岩船地蔵へ。岩船地蔵では、政策に利用された哀れな大姫を偲ぶ。その後、花の寺・海蔵寺で季節の花を楽しむ。
・海蔵寺から化粧坂切通しを経て、大姫の父・源頼朝の像がある源氏山へ。
・源氏山から大姫の母・北条政子が眠る寿福寺へ。寿福寺から小町通りを通り鎌倉駅へ
コース見所 ・茅葺の本堂の常楽寺と北条泰時の墓所
・若くして政策に翻弄され、殺害された義高の墓所
・鎌倉五山第2位の古刹・円覚寺、花の寺・東慶寺と海蔵寺
・自然がいっぱいの源氏山(源頼朝の像あり)
・大姫を祀る岩船地蔵
・いろいろなお店がある小町通り
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コース順序 バス 徒歩(史跡間の時間。史跡内の時間含まず)
名所部分をクリックしますと詳細をご覧いただけます
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*名所部分をクリックしますと詳細をご覧いただけます
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