源頼朝、鎌倉の町造りに着手(1180) |
治承4年(1180)平氏との戦い(富士川の合戦)から戻った源頼朝は鎌倉の体制と町造りに着手した。先ず10月21日由比ガ浜にある八幡宮を小林郷北山に移した。現在の鶴岡八幡宮である。次に11月鎌倉政権の体制作りとして御家人を統率する侍所を設け、別当(長官)に和田義盛を、侍所の所司(次官)に梶原景時を任命した。これが鎌倉政権の最初の行政機関であった。 12月には政権を行う場所として鶴岡八幡宮の東方大蔵に館を造営した。そして,養和2年(1182)3月には,京の朱雀大路を模して鎌倉八幡宮から由比ガ浜に一直線に伸びる若宮大路を造営し、これを中心に鎌倉の町造りを行った。 |
源氏系図 鎌倉の中心部図 |
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