源頼朝の再起・鎌倉入り(1180) |
石橋山で平氏軍に敗れた源頼朝は安房に逃れ、鎌倉に向かった。途中、平氏に不満を持つ上総、下総の豪族をはじめ武蔵、相模の関東の豪族たち(三浦義澄、千葉介常胤、上総介広常、畠山重忠ら)の勢力が頼朝のもとに結集した。その数4万騎に膨れ上がっていった。頼朝はこの大軍を引き連れて治承4年(1180)10月6日鎌倉に入った。 鎌倉は亀が谷の切通しから今の寿福寺の前を経て由比ガ浜の八幡(元八幡)に参拝した。八幡は源氏の守り神を祀った所であり、頼朝の先祖の源頼義が東北征伐の時、京都の岩清水八幡宮を移し祀ったところで源氏ゆかりの地であった。また三方が山に囲まれ、南は海に面し、敵から守るに都合が良い天然の要塞の地であったので、この鎌倉を源氏の本拠地と決めたのである。石橋山の合戦から、わずか40日のことであり頼朝の運の強さを示している。 東国でも木曽義仲や甲斐の武田など頼朝以外の反平氏活発になっていた。一方平氏の勢力圏である西国の伊予、紀伊、豊後、肥後などの諸国でも、反平氏の拠点が作られ、反平氏運動が全国に広がり、頼朝は坂東の覇者となっていった。 源氏系図 |