大蔵幕府跡(おおくらばくふあと) |
由来 治承4年(1180年)に平氏との富士川の合戦の後、鎌倉に戻った源頼朝が、鶴岡八幡宮の東側にある大蔵郷に建てた館が、大蔵御所です。 これは大庭景義が頼朝の指示で普請奉行として治承四年(1180年)10月に着手して12月に12日に完成した。頼朝の政権を得てから政治がここで行われました。 それ以降、源頼家、実朝、と続き1225年源頼朝の妻で尼将軍・北条政子が亡くなり幕府が宇都宮辻子に移るまでの46年間、この地が鎌倉幕府の中心でした。現在、清泉小学校の側に「大蔵幕府跡」の碑が立っている。 |
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見所 |
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鎌倉幕府時代の大蔵幕府の配置図 大蔵幕府の配置図 |
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散策 | 大蔵幕府を含めた散策コースを紹介。 鎌倉幕府めぐり |
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基本情報 | アクセス | JR横須賀線「鎌倉駅」東口から徒歩20分。 |
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住所 | 鎌倉市二階堂・西御門・雪ノ下3丁目 | ||||
web情報 | 鎌倉幕府Wikipeidia | ||||
地図 | 地図へ | ||||
主な周辺情報 (画像がリンクします) |
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鶴岡八幡宮 | 白幡神社 | 頼朝の墓所 |