北条泰時(1183~1242)は鎌倉幕府3代執権。2代執権・北条義時の嫡男。健保6年(1218)侍所の別当に就任する。承久3年(1221)承久の変の後に六波羅探題となって朝廷及び西国を監視した。北条義時・政子の死後、元仁元年(1224)に執権となり、叔父の北条時房を連署として補佐させ、11人による合議制をひいた。また北条得宗家による執権政治体制を確立。一連の鎌倉幕府機構整備の総仕上げとして、貞永元年(1232)には、鎌倉幕府の憲法とも言うべき「関東御成敗式目51か条」を制定し、鎌倉幕府の基本法とした。 北条泰時による執権政治は18年間に渡り、其の間、名執権として後世まで規範とされる政治を行った。その他鎌倉の首都機能の基盤整備にも力を注ぎ鎌倉幕府の黄金期を築いた。その主な功績は *鎌倉の道路網の整備 *鎌倉城といわれる鎌倉七口(名越坂、大仏坂、朝比奈、化粧坂、極楽寺坂、巨福呂坂、亀谷切通し)の防御体制の整備 *鎌倉の海の玄関口としての和賀江島の築港ーー>大陸との貿易促進, 鎌倉仏教の普及 *鎌倉大仏への支援
*新田開発等で、数々の仁政を行ったが病に倒れ、59歳の生涯を終え常楽寺に眠っている。 ここでは数々の仁政を行った北条泰時のゆかりの地を訪ねます。 |
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北条泰時散策MAP
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