稲村ガ崎
   鎌倉幕府の滅亡から太平記へ

  北条氏系図   天皇家系図

     
       
後醍醐天皇
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天皇 院政 鎌倉殿 執権 西暦 元号
 主な出来事
鎌倉の名所旧跡
後醍醐 伏見 守邦 高時 1316 正和元 北条高時(14才)、14代執権となる    
後醍醐 伏見 守邦 高時 1324 元享元 野俊基捕  正中の変  
後醍醐 伏見 守邦 高時 1327 元享3 夢想疎石、瑞泉寺を創建 瑞泉寺
後醍醐 伏見 守邦 赤堀守時 1326 嘉暦元 赤堀守時、執権となる    
後醍醐 伏見 守邦 赤堀守時 1331 元弘元
天皇を中心とした倒幕計画失敗。楠木正成、河内赤坂城で挙兵、後醍醐天皇捕らえられ、隠岐へ配流      元弘の変 - 元弘の変
後醍醐 伏見 守邦 赤堀守時 1332 元弘2 日野俊基、処刑される 葛原岡神社
日野俊基の墓
後醍醐 伏見 守邦 赤堀守時 1332 元弘2 後醍醐天皇第三皇子・護良親王、吉野に挙兵 - 
後醍醐 伏見 守邦 赤堀守時 1333 元弘3 後醍醐天皇、隠岐を脱出。倒幕の挙兵。諸国の武士に決起を促す   
後醍醐 伏見 守邦 赤堀守時 1333 元弘3 楠木正成、摂津四天王寺に六波羅軍を破る。新田義貞上野国で挙兵し、武蔵分倍ヶ原で北条軍を破る  
後醍醐 伏見 守邦 赤堀守時 1333 元弘3 新田義貞、鎌倉攻略北条高時自害(31才),150年に渡る鎌倉幕府北条氏と共に滅亡

           
鎌倉幕府滅亡
稲村ヶ崎
極楽寺坂切通し
化粧坂切通し
東勝寺跡
高時腹切りやぐら
州崎古戦
泣き塔
十一人塚
後醍醐 伏見 - - 1333 元弘3 足利高氏、細川和氏を鎌倉へ派遣
後醍醐天皇帰京.護良親王征夷大将軍になる新田、足利諸将に論功行賞、高氏は尊氏に改名
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         1333 元弘3 建武の新政  
後醍醐 - - - 1334 建武元 護良親王を鎌倉に配流 - 
後醍醐       1334 建武元 足利家時、報国寺を創建 報国寺
        1335 建武2 北条高時の遺児・北条時行、足利直義軍を破り鎌倉へ入る(中先代の乱)  
後醍醐 - - - 1335 建武2 足利尊氏征夷大将軍になる
足利直義、護良親王を殺害
護良親王の墓
後醍醐 - - - 1335 建武2 後醍醐天皇、足利尊氏に命じて北条氏を慰霊する為に宝戒寺を建立 宝戒寺
後醍醐 - - - 1335 建武2 尊良親王、新田義貞と共に足利尊氏、直義追討へ -
後醍醐 - - - 1335 建武2 尊氏、直義、伊豆箱根で新田軍を破る -
後醍醐       1336 建武3 新田義貞鎌倉攻めの戦死者を弔うため九品寺を建立 九品寺
後醍醐 - - - 1336 延元元 尊氏、兵庫県湊川で新田、楠木正成を破る。正成戦死 -
後醍醐 - - - 1336 延元元 後醍醐天皇、比叡山に逃れる。 -
後醍醐         1336 延元元 足利尊氏の奏請により、光明天皇が即位する。  
後醍醐        1337 延元2 後醍醐天皇吉野に移り南朝を開く。京にある足利氏擁立の北朝と50年に渡る抗争始まる(南北朝分裂  
後醍醐 - - - 1338 延元3 新田義貞(38歳)、斯波高経と戦い越前藤島に敗死 -
後醍醐 - - - 1338 延元3 北朝・足利尊氏を室町幕府征夷大将軍とする。室町幕府開府。 - 

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