北条時宗
 北条時宗の誕生から元寇、
  そして鎌倉幕府滅亡へ
 北条氏系図 天皇家系図  

円覚寺
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天皇 院政 鎌倉殿 執権 西暦 元号
 主な出来事
鎌倉の名所旧跡
後深草 後嵯峨 頼嗣 北条時頼 1249 建長元 北条時頼,引付衆を設置  
後深草 後嵯峨 頼嗣 時頼 1250 建長2    円応寺
後深草 後嵯峨 頼嗣 時頼 1251 建長3 北条時宗誕生 甘縄神社
後深草 後嵯峨 頼嗣 時頼 1251 建長3 北条長時、浄光明寺建立 浄光明寺
後深草 後嵯峨 宗尊 時頼 1252 建長4 将軍・頼嗣,京へ追放
宗尊親王(10才)、征夷大将軍に(初の皇族将軍)
 
後深草 後嵯峨 宗尊 時頼 1252 建長4 金剛造りの鎌倉大仏が造営される 鎌倉大仏
後深草 後嵯峨 宗尊 時頼 1253 建長5 藤原仲能。海蔵寺を創建 海蔵寺
後深草 後嵯峨 宗尊 時頼 1253 建長5 日蓮、鎌倉に移り、法華経を唱える 辻説法跡
後深草 後嵯峨 宗尊 時頼 1253 建長5 日蓮安国論寺を開山 安国論寺
後深草 後嵯峨 宗尊 時頼 1253 建長5 日蓮妙法寺を開山 妙法寺
後深草 後嵯峨 宗尊 時頼 1253 建長5 鎌倉武士に迎えられ、鎌倉で栄えた禅宗の象徴建長寺を北条時頼が建立 建長寺
後深草  後嵯峨  宗尊  時頼  1253  建長5 常盤に北条政村の別邸を建立  北条常盤亭跡 
後深草 後嵯峨 宗尊 長時 1256 康元元 北条時頼出家。北条長時、執権になる  
後深草 後嵯峨 宗尊 長時 1260 文応元 日蓮、立正安国論を、時頼に呈する 安国論寺
後深草 後嵯峨 宗尊 長時 1260 文応元 比企能本、妙本寺建立 妙本寺
後深草  後嵯峨  宗尊  長時  1260  文応元  日蓮、松葉ケ谷の草庵を焼打ちに合う。松葉ケ谷法難   
亀山 後嵯峨 宗尊 長時 1261 弘長元 幕府、日蓮を伊豆へ流す  
亀山 後嵯峨 宗尊 長時 1261 弘長元 北条重時に招かれ忍性、極楽寺を開山。律宗を普及 極楽寺
亀山 後嵯峨 宗尊 長時 1263 弘長3 時頼、没する(37才) 明月院に墓
亀山 後嵯峨 宗尊 長時 1263 弘長3 日蓮、長勝寺を創建 長勝寺
亀山 後嵯峨 宗尊 政村 1264 文永元 北条政村、執権になる   
亀山 後嵯峨 宗尊 政村 1266 文永3 宗尊親王、鎌倉を追放 吾妻鏡の記述終了 
亀山 後嵯峨 惟康 時宗 1268 文永5 北条時宗、執権になる(16才) -
亀山 後嵯峨 惟康 時宗 1268 文永5 日蓮、諸宗教を排撃、外寇を警告  
亀山 後嵯峨 惟康 時宗 1271 文永8 幕府、日蓮を佐渡に流す -
亀山 後嵯峨 惟康 時宗 1274 文永11 日蓮の弟子.日朗上人光則寺を開山 光則寺
後宇多 亀山 惟康 時宗 1274 文永11 台風により、元軍全滅 文永の役 -
後宇多 亀山 惟康 時宗 1275 建治元 幕府、元の使者5人を斬殺 常立寺(藤沢)
後宇多 亀山 惟康 時宗 1279 弘安2 無学祖元、宋より渡来    
後宇多 亀山 惟康 時宗 1279 弘安2 一遍上人を開祖に光触寺を創建 光触寺
後宇多 亀山 惟康 時宗 1281 弘安4 台風の為、再び元軍全滅 弘安の役 -
後宇多 亀山 惟康 時宗 1281 弘安4 北条師時浄智寺を創建、 浄智寺
後宇多 亀山 惟康 時宗 1282 弘安5 日蓮、没する(61才) -
後宇多 亀山 惟康 時宗 1282 弘安5 時宗、無学祖元開祖に円覚寺を建立、元寇の戦没者を慰霊 円覚寺
後宇多  亀山  惟康 時宗  1283  弘安6 「十六夜日記」の作者阿仏尼、没する  阿仏尼やぐら 
後宇多 亀山 惟康 時宗 1284 弘安7 時宗、没する(34才) 円覚寺に墓
後宇多 亀山 惟康 貞時 1284 弘安7 時宗の婦人・覚山尼は夫の死後、慰霊の為、東慶寺を建立 東慶寺
後宇多 亀山 惟康 貞時 1284 弘安7 北条貞時執権 -
後宇多 亀山 惟康 貞時 1285 弘安8 御家人筆頭安達泰盛一族滅亡(霜月騒動)
甘縄神社
後宇多 亀山 惟康 貞時 1285 弘安8 貞時、円覚寺仏舎利殿建立 円覚寺仏舎利殿
後宇多 亀山 惟康 貞時 1293 永仁元 一向上人を開山に、来迎寺(西御門)を創建 来迎寺(西御門)
後宇多 亀山 惟康 貞時 1297 永仁5 幕府が徳政令を発する 徳政令    

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