源頼朝
 鎌倉幕府の誕生と源頼朝政権まで
  源氏略系図  源氏三代人脈関連図  
平氏略系図   皇室系図
鶴岡八幡宮
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天皇 院政 鎌倉殿 西暦 元号 主な出来事 鎌倉の名所旧跡
    734  和銅10 鎌倉最古の神社。甘縄神社建立 甘縄神社
       734  天平6 鎌倉最古の寺・杉本寺建立 杉本寺
         736 天平8 高さ9.18mの十一面観音の長谷寺建立 長谷寺
  1062  康平5 源頼義、義家の親子。奥州安倍氏討伐(前九年の役)
        1063  康平6 源頼義、由比郷鶴岡に鶴岡若宮建立(鶴岡八幡の前身) 元八幡
      1104 長冶元年 菅原道真を祭神として荏柄天神社建立 荏柄天神社
             1147 久安3 源頼朝源義朝の三男として、尾張熱田神宮付近で誕生    
後白河 鳥羽 -  1156 保元元 保元の乱 -    
二条 後白河 - 1159 平治元 平治の乱源頼朝13才の時、父・義朝に従い参戦し敗れる -    
二条 後白河 - 1160 永暦元 源頼朝の父・義朝は謀殺され、源頼朝は伊豆国蛭が小島へ約20年間配流される義経は鞍馬寺に預けられる -   
二条 後白河   1160 永暦元 平治の乱で戦死した父の菩提を弔うため山ノ内經俊、明月院の前身の明月庵を創建 明月庵(明月院)
二条 後白河   1169 嘉応元 義経、鞍馬を出て奥州へ下る  
二条 後白河     1177 治承元 平清盛後白河法皇の近臣らの反平氏クーデターを処罰     鹿ケ谷事件       
二条  後白河     1177 治承元 源頼朝。伊豆で北条政子と結婚      
二条 後白河    1179 治承3 平清盛。クーデタ-を起こし後白河法皇を幽閉      
二条 後白河    1180 治承4 以仁王の令旨、諸国の源氏に伝えられる       
二条 後白河     1180 治承4 源頼政挙兵し、宇治川で敗死(76才)。以仁王討死(30才)    
安徳 高倉 頼朝 1180 治承4 頼朝、伊豆韮山で平家追討の挙兵   頼朝の挙兵 吾妻鏡の記述開始
安徳 高倉 頼朝 1180 治承4 頼朝(34才)、石橋山で敗戦。真鶴岬から安房へ逃れる           石橋山の戦い -  
安徳 高倉 頼朝 1180 治承4 木曾義仲(26才)。信濃で挙兵       
安徳 高倉 頼朝 1180 治承4 頼朝のもとに、房、相模、武蔵の反平氏の武士が結集            頼朝の再起       
安徳 高倉 頼朝 1180 治承4 頼朝、安房より4万の大軍で鎌倉へ入る                鎌倉入り 亀ケ谷切通し
 
安徳 高倉 頼朝 1180 治承4 頼朝、平氏追討のため、西国に向かって鎌倉を出発    
安徳 高倉 頼朝 1180 治承4 黄瀬川(静岡)で、甲斐源氏の武田軍と頼朝軍合流     
安徳 高倉 頼朝 1180 治承4 頼朝軍、平氏軍と富士川(静岡)で対陣、平氏敗走              富士川の戦い   -  
安徳 高倉 頼朝 1180 治承4 奥州から駆けつけた源義経(21才)、黄瀬川で頼朝と対面   
安徳 高倉 頼朝 1180 治承4 頼朝、鎌倉に戻り由比ガ浜の八幡宮を小林郷北山に移す 鎌倉の町造りに着手    鎌倉の町造り 鶴岡八幡宮   
安徳 高倉 頼朝 1180 治承4 頼朝、大蔵卿の新造成(第一期大倉御所) 大蔵幕府跡
安徳 高倉 頼朝 1180 治承4 頼朝、鎌倉政権の体制作りに着手。侍所を設置、別当に和田義盛を任命    
安徳 後白河 頼朝 1181 治承5 高倉天皇没する(21才)。後白河法皇院政を再開    
安徳 後白河 頼朝 1181 治承5 平清盛、没する(63才)。平氏政権消滅 -  
安徳 後白河 頼朝 1182 養和2 北条政子・懐妊。安産祈願に後の若宮大路となる参道を改修 若宮大路
段葛
安徳 後白河 頼朝 1183 寿永2 源頼家誕生 -   
安徳 後白河 頼朝 1183 寿永2 木曽義仲。息子・義高を鎌倉へ人質に送る    
安徳 後白河 頼朝 1183 寿永2 平氏、義仲追討のため、平維盛10万の大軍を越中へ派遣    
安徳 後白河 頼朝 1183 寿永2 木曽義仲軍、砺波山で平氏を敗る 倶利伽羅峠の合戦    
安徳 後白河 頼朝 1183 寿永2 平氏、安徳天皇を連れて都落ち。屋島に拠点を置く     
安徳 後白河 頼朝 1183 寿永2 木曽義仲、延暦寺の僧と手を結び入京    
安徳 後白河 頼朝 1183 寿永2 木曽義仲軍、京都で乱暴狼藉。後白河法皇、頼朝に義仲追討の宣旨を発する。同時に義仲には平氏追討の宣旨を発する。    
安徳 後白河 頼朝 1183 寿永2 木曽義仲、クーデター決行。後白河法皇を幽閉    
安徳 後白河 頼朝 1183 寿永2 頼朝、木曾義仲追討のため、義経範頼を西国へ派遣  
安徳 後白河 頼朝 1183 寿永2 梶原景時上総介広常を殺害 太刀洗
安徳 後白河 頼朝 1184 嘉永3 木曾義仲征夷大将軍となる(朝日将軍) 源平勢力図   
安徳 後白河 頼朝 1184 嘉永3 義経は宇治で、範頼は瀬田(滋賀)で義仲軍を破る。義仲、粟津で打死(31才)     木曽義仲打死  
安徳 後白河 頼朝 1184 嘉永3 後白河法皇。頼朝、範頼に平氏追討の院宣を発する  
安徳 後白河 頼朝 1184 嘉永3 義経、範頼平氏追討のため京を出発 源平の合戦へ   
安徳 後白河 頼朝 1184 嘉永3 義経、一ノ谷で平氏を敗る。平氏、屋島へ                一ノ谷の合戦   
安徳 後白河 頼朝 1184 嘉永3 頼朝、人質の木曽義高を殺害 木曽義高の墓
安徳 後白河 頼朝 1184 元暦元 義経、後白河法皇から検非違使を任じられる。頼朝と対立へ  
安徳 後白河 頼朝 1184 元暦元 頼朝、鎌倉政権に公文所と問注所を置く。政権の体制確立  
安徳 後白河 頼朝 1184 元暦元 頼朝、範頼軍を支援する様、義経に屋島攻撃の出陣を指示   
安徳 後白河 頼朝 1185 元暦2 義経、範頼軍屋島で平氏を敗る。平氏西国へ敗走             屋島の合戦    
安徳 後白河 頼朝 1185 元暦2 義経、壇ノ浦で平氏を敗る。安徳天皇没す(8才)
平氏滅亡    
壇ノ浦の合戦  平氏滅亡
   
安徳 後白河 頼朝 1185 文治元 義経京へ凱旋。   
後鳥羽 後白河 頼朝 1185 文治元 義経、鎌倉・腰越で頼朝へ腰越状を送る 満福寺(腰越)
後鳥羽 後白河 頼朝 1185 文治元 頼朝、義経暗殺に土佐坊昌俊を派遣。発覚し昌俊は殺害される     
後鳥羽 後白河 頼朝 1185 文治元 後白河法皇、義経に頼朝追討の宣旨を発するが、頼朝の圧力により逆に、頼朝に義経追討の宣旨を発する     
後鳥羽 後白河 頼朝 1185 文治元 頼朝、全国に守護、地頭を置く。鎌倉幕府による全国支配へ   
後鳥羽  後白河  頼朝  1185  文治元  頼朝、佐助ヶ谷の岩壁に湧く霊水を見つけ、そこに洞を穿ち社を建てて宇賀神を祀ったと伝えられる。 銭洗弁財天 
後鳥羽 後白河 頼朝 1185 文治元 頼朝の推挙により新幕派の九条兼実、摂政に任じられる    
後鳥羽 後白河 頼朝 1185 文治元 頼朝。父・源義朝の菩提を弔うために勝長寿院を建立 勝長寿院跡
後鳥羽 後白河 頼朝 1186 文治2 頼朝、八幡宮で静の舞を見る 八幡宮の舞殿
後鳥羽 後白河 頼朝 1187 文治3 義経、延暦寺から奥州の藤原秀衡を頼る   
後鳥羽 後白河 頼朝 1187 文治3 藤原秀衡を没する   
後鳥羽 後白河 頼朝 1188 文治4 足利義兼、極楽寺(後の浄妙寺)創建 浄妙寺
後鳥羽 後白河 頼朝 1188 文治4 義経追討の宣旨、再び発せられる -    
後鳥羽 後白河 頼朝 1189 文治5 義経、藤原泰衡に攻められ衣川館で自害(31才)
 衣川の戦い        
義経死亡
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後鳥羽 後白河 頼朝 1189 文治5 頼朝、平泉に入る。奥州・藤原氏滅亡。頼朝、全国支配へ        藤原氏滅亡     
後鳥羽 後白河 頼朝 1189 文治5 頼朝、義経や、藤原泰衡の霊を慰める為に、平泉中尊寺の大御堂を模して永福寺建立に着手 永福寺跡
後鳥羽  後白河  頼朝  1190  建久元 頼朝、初期の目的を達成したお礼として、畠山重忠に命じて、ここを霊地と定めて稲荷の社殿を造営させた 佐助稲荷 
後鳥羽 後白河 頼朝 1190 建久元 頼朝、上洛   
後鳥羽 後白河 頼朝 1191 建久2 正式に岩清水八幡宮寺を鶴岡八幡宮寺勧請 鶴岡八幡宮
後鳥羽  後白河  頼朝  1191  建久2 3月、大火により鶴岡八幡宮焼失   
後鳥羽  後白河  頼朝  1191  建久2 11月、鶴岡八幡宮再建。   
後鳥羽 後白河 頼朝 1192 建久3 後白河法皇、没する(66才) - 
後鳥羽 後鳥羽 頼朝 1192 建久3 頼朝、征夷大将軍となる  鎌倉幕府誕生   - 
後鳥羽 後鳥羽 頼朝 1192 建久3 源実朝誕生 - 
後鳥羽 後鳥羽 頼朝 1193 建久4 頼朝、範頼を伊豆へ追放し、殺害   
後鳥羽 後鳥羽 頼朝 1194 建久5 頼朝、三浦大介義明の菩提を弔うため能蔵寺を建立 能蔵寺(現在の来迎寺)
後鳥羽 後鳥羽 頼朝 1195 建久6 頼朝、再び上洛   
後鳥羽 後鳥羽 頼朝 1197 建久8 頼朝の娘・大姫(20才)亡くなる 岩船地蔵
後鳥羽 後鳥羽  頼朝 1198 建久9 頼朝、相模川の橋の完成祝い出掛け、帰路稲村ガ崎で落馬。一幡誕生(頼家の長男)   
土御門 後鳥羽 頼朝 1199 建久10 頼朝、没する(53才)     頼朝、没する  頼朝の墓
土御門  後鳥羽  頼朝  1199  建久10 頼朝、持仏堂(後の法華堂ー>白幡神社)に葬られる  白幡神社 

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